和声の骨格は単純なのに、多くの変化音によって彩り豊かなおとぎ話。対照と調和が図られた主部と中間部とを上手に表現しましょう。さらに、各部への繋ぎのアゴーギクを適切にコントロールすることも「乳母のお話」の要点です。乳母がおとぎの話を幼い子にする時の、少し表現過多な話し方を想像してみましょう。
三部形式
A t.1〜16
a t.1〜8
a' t.9〜16
B t.17〜32 t.29〜36はBの反復
A t.33〜48
Exs.19-1 は、第19曲「乳母のお話」の主要大楽節Aです。
Exs.19-2は、第19曲「乳母のお話」の主要大楽節 Aの和声進行を大胆に要約し、曲中に存在する、変化した音の性質が分かるよう前打音のように小音符にして書き加えたものです。
1小節目のDisとFis音はそれぞれEとG音の前打音で偶成和音です。この音形をm-1とします。
t.3ではc-mollの属9の構成音が見られますが、すべての音が主和音に向かっている前打音のように書かれています。
そして、最初の4小節は主音保続していますから、全体で主和音です。
続くt.5からはドッペルドミナンテ(譜例中Dを重ねたもの)の下行変位で、属和音に進行します。
まとめると、t.1〜4のトニックからt.5〜8でドミナンテに進行しています。
t.9からの後楽節は、終止を意識した進行に変わります。t.9〜12のようにF-durやd-mollの和音を借用することはサブドミナンテの強調にほかなりません。
中間大楽節Bは(Exs.19-3)、右手声部の上拍にアクセントのついた主音を置き、執拗に煽るような固執音形と、半音階的に上下するm-1音形の組み合わせによる一貫したテクスチュアが続きます。
右手声部のC音は保続音のようにも見えますが保続音ではありません。
保続音の本来の目的を例えて言えば、主音を保続している場合は、上声部にいかなる和音があっても主和音領域で、これが保続の本質的機能です。ですから、特異な例を除いて、バス以外に保続音が置かれることはありません。t.17から30の間は主和音領域ではありません。
では、この固執C音の目的は何でしょうか。きっと、音程のない打楽器音のイメージで、正常な拍節を邪魔しながらせき立てているのでしょう。C音を選んだ理由は、左手に出てくる音形m-1による和声進行の共通音として保留したのです。
t.18-19 t.22-23に見られる和声的矛盾は半音階的に経過している中での出来事ですから、偶成和音(または経過和音)です。
この曲では、主要大楽節Aと中間大楽節Bの統一を、m-1モティーフが担い、Aのm-1ではスタッカートで上声、Bはレガートで下声、という対照とともに全曲を構成していることも、注意して見ておく必要があります。
アゴーギク(Agogik)は、楽曲中の速度を自在に操ることです。リタルダンドで大きく速度が変わることもアゴーギクですが、強調すべきフレーズに働く微細なテンポの揺れもアゴーギクです。時間芸術である音楽にとって、アゴーギクは表現のための不可欠な一要素です。
基本的には、西洋古典音楽は設定した一定の速度で終わりまで演奏します。音楽は(この場合の音楽とはかなり狭い様式の範囲を考えて下さい)時間が一定に進む原理原則に追随して成り立っています。そのため、音楽は時間芸術と言われます。生まれて死ぬまで進む時間が一定であることと似ています。
その中で、作曲家は作品中の時間を自由にコントロールしたいという欲求が起こります。時間は一定に刻まれているのに、感覚的には「あっという間」とか、「止まったように感じる」時間があるように、作品にもそのような状態を作りたいと考え、「テンポ・ルバート」「フェルマータ」などの標語を生み出しました(想像です)。
ちなみに、フェルマータは、速度をコントロールする重要な記号です。この記号がついていたら、皆さんはどうしますか。「増えるマータ」だから音符か休符の長さが増える、と思っていませんか。
増える訳ではありません。「止まる」のです。時間よ止まれ、という指示です。
フェルマータはアゴーギクを知る上で象徴的な記号です。具体的に第19曲「乳母のお話」で見てみます。
この曲の13小節目(Exs.19-1)にフェルマータがあります。このフェルマータの意味が腑に落ちるにはその前後のいきさつを理解することが必要です。見てみましょう。
t.11からフェルマータまでstringendo (せき込んで)があり一気に駆け上がるシーンです。松葉のクレッシェンドが書き足されています。演奏してみると、どうしても前のめりになるところですから、stringendoの指示があると安心して加速出来ますね。
t.13の二つの8分音符にはアクセントがあり、IIの和音からドッペルドミナンテに変わり動きが止まります。和音の急激な変化、不協和音などでは強いアゴーギクが働きます。その後にあるフェルマータです。
しっかり休んで——、というような意味ではなく、息をのんで、の表情です。その後、tranquilloと書かれたstringendoを打ち消す記号があります。そこは(t.14のアウフタクトから)、レントゲン撮影で「はい、息止めて 、楽にして」と言われた時のような気持ちで弾くと良いです。
この分析で使用している出版楽譜には上記説明の記号が付いていますが、楽譜(版)によっては記号がありません。しかし、記号の有る無しに関わらず、文脈から判断して、速度を適切に操れば音楽表現の幅は一気に広がります。
ただし、ここでのフェルマータは特異な表現だと言うことも付け足しておきます。この曲集の他の曲に付いているフェルマータを探してみて下さい。しばしば、曲の末尾に付いていますね。そのようなフェルマータでは、バスが停留所に止まる時のことをイメージして見て下さい。それが通常のフェルマータの意味ですから。
フェルマータ以外に速度変化に関する記号は多数存在しますが「乳母のお話」の中には、大楽節Aに再現する直前にもあります(Exs.19-4)。
t.31から33までのアゴーギクとデュナーミクについて読んでいくと、rall.で速度を落とし、moltoは、大幅にの指示。中間大楽節Bの終わりは f(フォルテ)、再現した大楽節Aには突然 p (ピアノ)が要求されています。t.32から33の間に大きな落差があることを示しています。t.32の終わりに向かって「怖いお化けが近づく」的なイメージのために音量の増大と速度減少が必要となり記号標記されているのです。ここも記号がない版もあります。
アゴーギクは、音楽記号等で標記されていない、微細な様々な部分に対しても働きます。このことに関しては、また別にまとめたいと思います。